ゆるぽたライド

ゆるぽたライド

「ゆるぽた」の勉強をしました。今日は寒波な極寒とゆるぽたでのライド、でも相性悪くないなと思った。

自転車と「ゆるさ」を巡る考察。ゆるぽたの起源から、未来のトレイルまで。

今日は、ふとした疑問から「ゆるぽた」という言葉について深く掘り下げる一日になった。

普段、何気なく使っている「ゆるぽた」という言葉。調べてみると、その起源は2000年代後半から2010年代にかけてのネットコミュニティにあるらしい。当時は『弱虫ペダル』などの影響で自転車ブームが過熱していた時期。「ガチ」で走る層が増えたからこそ、それに対するカウンターとして「私たちはゆるく走るよ」という防衛本能に近い宣言が必要だった。それが『ろんぐらいだぁす!』などのメディアを通じて、ひとつの文化として確立されていったわけだ。

しかし、面白いのはここからだ。

「ゆるぽた」という呼び名は新しくても、その「行為」そのものは、実は自転車の歴史と同じくらい古い。1970年代のランドナーでの旅や、さらには19世紀フランスのシクロツーリスム(自転車旅行)にまでその精神は遡る。私たちは新しい遊びを生み出したのではなく、自転車が本来持っていた「寄り道の楽しさ」を、現代の言葉で再定義しただけなのかもしれない。

ロードバイクの次は、MTBにも?

この「ゆる化」の流れは、マウンテンバイク(MTB)の世界にも当てはまるのではないか。 MTBもかつてはレースがメインストリームだったが、今はトレイルライドへと主役が移っている。ただ、今のトレイルライドはまだ「ガチ」な要素が強い。

今後、E-MTBの普及とともに「ゆるぽたトレイルライド」というジャンルがもっと一般的になるはずだ。森の空気を吸い、途中でコーヒーを淹れる。最新の機材をあえて「限界まで使わない」という贅沢。文化が成熟した先には、いつもこの「抜け感」が待っている気がする。

あらゆる場所で増殖する「ゆるぽた」的価値観

さらに考えてみると、この概念は名前を変えて、世の中のあちこちに溢れている。

・エンジョイ勢(ゲーム)
・チル / チェアリング(ライフスタイル)
・ファンラン(マラソン)
・ステイケーション(旅行)

どれも共通しているのは、「数字や効率という物差しを捨てて、自分の主観的な幸福を取り戻す」という姿勢だ。

「ゆるぽた」は、ただの自転車の乗り方ではない。 効率至上主義の現代において、私たちが「自由」を取り戻すための、ささやかな、けれど確固たる抵抗の形なのだと思う。

今日はそんなことを考えながら、自分の愛車を眺めていた。 次は、どこへ「ゆるぽた」に出かけようか。

編集後記:私たちは、ただ「自由」になりたかっただけなのかもしれない

今回の記事を執筆するにあたって、「ゆるぽた」という言葉を掘り下げていくうちに、面白い発見がありました。

ロードバイク乗りが「ゆるぽた」と自称し、MTB乗りが「トレイルライド」に癒やしを求め、一方で感度の高い層が「SURLY」や「OLD MTB」、あるいは「ATB(All Terrain Bike)」という言葉に熱狂している。これらは一見バラバラの動きに見えますが、その根底にある願いは、実はすべて同じなのではないか、ということです。

それは、「自転車を、数字やルールの呪縛から解放したい」という願いです。

時速、走行距離、心拍数、最新スペック、そして「こう乗らなければならない」というコミュニティの同調圧力。機材が進化し、情報が可視化されすぎた現代において、スポーツサイクルはいつの間にか、私たちを管理し、評価する「物差し」になってしまいました。

あえて不便なシングルスピードに乗ること。
高性能なバイクで、あえて何もしない贅沢を味わうこと。
「山」ではなく「全地形(All Terrain)」という、境界のない場所へ漕ぎ出すこと。

こうした「ゆるさ」への回帰は、効率至上主義に対する、現代サイクリストなりのささやかな抵抗であり、究極の知的な遊びなのだと感じます。

「ゆるぽた」という言葉は、私たちが自転車という翼を使って、もう一度「自由」を取り戻すための魔法の言葉なのかもしれません。

さて、小難しい考察はこれくらいにして。
明日の朝は、スペックなんて忘れて、ただ美味しいパンを買いに自転車を走らせようと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

そして、noteの記事も書きましたので、ぜひご覧ください。