ポタリングは、速さから自由になるための言葉

ポタリングは、速さから自由になるための言葉

改めて、素朴に「ポタリング」って何?
ということで、調べてみた。
和製英語っぽいけど、意外にも、違うみたいです!へー。

今日もポカポカの自転車が気持ちよかったので、用事のついでにちょっと寄り道。

ポタリングとは

ポタリングは、速さから自由になるための言葉

ポタリングという言葉の正体

近年よく使われる「ポタリング」という言葉。
自転車でのんびり走ることを指すが、実はこの言葉、もともと自転車用語ではない。

語源はイギリス英語の potter / pottering。
意味は「ぶらぶらする」「特に目的もなくゆっくり動き回る」。

イギリスでは昔から、

・pottering around the garden
・pottering about the house

のように、
庭仕事をしたり、家の中を気ままに動いたりする様子を表す、ごく日常的な言葉として使われてきた。

つまりポタリングとは本来、

「速さも成果も求めず、時間の流れを楽しむ行為」
を指す、生活感のある動詞だった。

自転車用語としてのポタリング

この pottering が自転車に結びついたのは20世紀後半と考えられている。
ただし、イギリスの文献を調べても、

「この人が最初に自転車の意味で使った」

という“言い出しっぺ”は記録されていない。

特定の誰かが作った専門用語ではなく、

「ぶらぶらする」という一般語が、
そのまま自転車の乗り方に自然に転用された

というのが実態に近い。

これはとてもイギリス的だ。

新しいスポーツ用語を作るのではなく、
日常語をそのまま文化に染み込ませていく。

ポタリングの本質

だからポタリングとは、距離でも速度でもない。

トレーニングでもツーリングでもなく、

・目的地がなくてもいい
・途中で止まってもいい
・風景に引き寄せられてもいい

そんな 「移動を伴う散歩」 に近い行為だ。

速く走ることが価値になりやすい現代の自転車文化の中で、
ポタリングという言葉は、

「自転車は、急がなくても成立する」

という、静かなカウンターでもある。

なぜこの言葉が残ったのか

ポタリングには、競技性も効率性もない。
それでもこの言葉が今も残っているのは、人間の本能に近い行為だからだ。

速く走ること、遠くへ行くことが価値になりやすい時代にあっても、
人は本能的に「意味のない移動」を求めてしまう。

歩く代わりに、たまたま自転車に乗っているだけ。
ただそれだけの行為が、驚くほど心を整えてくれることを、誰もがどこかで知っている。

ポタリングとは、

 目的を失った状態ではなく、
 目的から一時的に自由になった状態

なのだと思う。

これは成熟した大人の遊び方であり、
だからこそ pottering という言葉は、イギリスで上品で肯定的な表現として生き残った。

散走という日本版ポタリング

日本では近年、シマノスクエアが「散走(さんそう)」という言葉を提唱している。

散歩のように、ゆったりと自転車で街や風景を味わう乗り方。
速さや距離ではなく、途中の出会いや寄り道を楽しむスタイルだ。

これは本質的に、イギリスのポタリングと同じ思想である。

違いがあるとすれば、生まれ方だ。

ポタリングは、生活の中から自然に生まれた言葉。
一方、散走は、自転車文化を広げるために意図的につくられた日本語だ。

言い換えれば、

 散走は、日本社会に翻訳されたポタリング

と言っていい。

文化としての「だらしなさ」

散走は、とても整った美しい言葉だ。
誰にでも勧めやすく、入口として優れている。

ただ、ポタリングには、もう少し生活のにおいがある。

少しだらしなく、少し無計画で、少し寄り道が多い。

だが、この「だらしなさ」こそが文化の深みでもある。

管理された余暇ではなく、
こぼれ落ちるように生まれる自由。

ポタリングという言葉が長く生き残った理由は、
この人間くささにあるのかもしれない。

byチャッピー